2012年4月1日日曜日

虫六子、平成中村座デビュー

虫六子が高校受験を終える予定だった昨年の春に、東京に遊びにいこうと約束していたのですが、あの震災の影響で1年間棚上げになってまして、いよいよ約束を果たそうと、3月25日やってきました、浅草に。
前日は、ちょうど某大学のオープンキャンパスがあり、ついでにのぞいてみるか〜と突然参入した家人Tも加わってM市までいったのですが、両親に付き添われながら入試説明会でグースカピーと居眠りしている虫六子…。どーですかこの人。緊張なさ過ぎ。
つか、私の主なる目的は翌日の浅草詣…うしし。

おーお。今日も、スカイツリーは絶景かな。この日は家人Tは別行動。私は虫六子と浅草で(1年前の)高校合格のお礼参り。

子連れでも黒い虫六。本日は、平成中村座三月公演。
虫六子はデビュー戦であります。

勘九郎襲名公演で、爽やかな襲名祝幕が掛かっておりますよ。中村屋っ!

客演は仁左衛門丈と海老蔵丈!!!!!!!
超贅沢なラインナップでありんす。わかってんのか〜、我が子よ〜。


提灯もいつもの位置に…っていうか、今日は椅子席。でも花道寄りで、見やすい場所でした。親子でテンションがあがります。


○中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露
「平成中村座 三月大歌舞伎」

平成24年3月3日(土)~27日(火)
【昼の部】
一、歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)
鎌倉権五郎       海老蔵
那須九郎妹照葉     七之助
鹿島入道震斎      猿 弥
桂の前         吉 弥
成田五郎        男女蔵
加茂次郎        進之介
清原武衡        我 當

二、一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)
「檜垣」「奥殿」
一條大蔵長成  勘太郎改め勘九郎
常盤御前       扇 雀
八剣勘解由      亀 蔵
                   鳴瀬         小山三
鬼次郎女房お京    七之助
吉岡鬼次郎      仁左衛門

三、舞鶴雪月花(ぶかくせつげっか)
<上の巻> さくら
桜の精       七之助
<中の巻> 松 虫
松虫        仁左衛門
同         千之助
<下の巻> 雪達磨
雪達磨       勘三郎


口上は夜の部だけなので、それだけが残念でしたが、演目は充実で素晴らしかった!

『暫』の海老蔵は、さすが成田屋とはこういうものですか、ははぁ参りましたぁあというオーラ。揚げ幕から出てきたとたんに会場の空気が変わりました。絵になりますね〜。こんだけ綺麗でオーラあったら、歌舞伎役者に生まれて本望だろう…。虫六子もナマ海老蔵をみてひやぁ〜と感激しておりましたな。
ただ残念なのは、いまいちお声が籠もって聞こえること。女形の七之助の方がよっぽど耳障り良くすっきり聞こえる。もったいないよね。玉三郎と共演したときも同じ事を感じたのだけども、直せない事情があるのでしょうか。天は二物を与えずとはいうけれど、もう二物持っているから乗り越えて三物を手にして欲しい。
実は年長の歌舞伎通の知り合いが、謹慎が解けた後の復帰公演の「春興鏡獅子」をみて、「海老蔵はただ謹慎してなかった!」とその舞台の立派さを絶賛していて、先月の新橋の勘九郎を見て、「海老蔵に比べればまだまだ伸びしろあり」と断言していたので、なおさか興味ありました。ま、どっちも見てないからなんとも言えないんですが。

『一條大蔵譚』は中村屋の得意科目。仁左衛門の鬼次郎でこれまた華やか。惚けたところの愛嬌はまだまだ勘三郎の方が巧いしかわいい!って感じですが、きっとそれとも違う大蔵卿を回をかさねて自分のものにしていくのでありましょう。(ちなみに虫六子は途中グースカピーでした。寝てんじゃねぇよ、勿体ない!)小山三さんが元気そうでうれしかったです。

『舞鶴雪月花』。今回、来た甲斐があった!!と実感したのはこの舞踊演目。ほんと、まってました!って感じですよ。七之助の桜の精もも初々しくて可愛いし(ナマ写真買いました!)、仁左衛門&千之介の松虫の情愛の深さ…虫なのに。そして、雪だるまのユーモア、踊りの巧みさ…というか、歌舞伎舞踊って面白いんですよ。演奏も聴けるし最近芝居より踊りの方にはまってます。この演目はもう一回みたい!
演奏は、またしても直吉&勝国…。中村座でずっぱですか、勝国師匠。お疲れさまです。

虫六子も今度は一睡もせず堪能したようで、満足していました。
それはいいとして…私が使おうと持参した双眼鏡を虫六子に奪い取られて、ストレスたまりました。というのも、最近老眼に加え(?)乱視が進んで視力が落ちているため、遠くの役者さんの顔がぼやけて、なんとも悔しかったっす。
こりゃ眼鏡だ、眼鏡つくんなきゃ。げろげろ、ついに老眼鏡か…?


お昼は奮発して勘九郎襲名弁当。
真ん中のは桜の葉で巻いた鯛寿司。無駄のない幕の内ですべて美味しかったです。

平成中村座の空間で思ったこと。
少し前は御曹司に生まれて、一生精進して、人間国宝になる…というような、役者道のあり方が見る側にもインプットされてたんじゃないかと思うけれど、人間国宝っていっても文化財保護法の改正法に基づいて最初の重要無形文化財及び保持者(人間国宝)の指定・認定が行われたのは1955年2月15日だったし、つまりは戦後に作られた伝統でしかないわけですよ。そんなランクづけみたいのにとらわれず、こんな風に役者と観客が近い場所で空間を肌で共有し、それぞれの人気を競いながら舞台を作り上げていく状況は、江戸や明治の頃の何でもありの芝居が復権しているようで楽しいです。歌舞伎座が建て替え中ということもあり、いま、都内の小さな小屋でも若手などが意欲的に演目をかけたりしていて、ある意味活況を呈しています(マメに見にいけない自分がもどかしいですが)。商業演劇の演出家も歌舞伎を手がけて面白い仕事をしているし。これらの流れを作った牽引役はやっぱり当代勘三郎なんだよね。
歌舞伎って、幼少期からお披露目されて、そこからの鍛錬と修行なしには達することのできない芸能技術であり、役者の成長と観客の成長が同期する珍しい文化だと思う。虫六が同時代に生きて舞台を共有できて幸せと実感できる役者は、仁左衛門丈、玉三郎丈、勘三郎丈…かな。(もちろん、伸びしろを測りながら若手の成長をみる楽しみもありますけどね)。まだ、だれも人間国宝じゃないけど(そのうち順番に認定されるでしょうけど)、それだから有り難いのではなくて、これらの役者の存在の大きさや凄さを「舞台で」実感できることが全てなんですよね。平成中村座のような芝居小屋は役者もそれを実感できるのではないでしょうか。今月の仁左衛門&海老蔵では特にそう思いました。

終演後、浅草で奥山をひやかした後、九段下まで足をのばし、昭和館の「昭和の紙芝居」展を見ました。
昭和館は初めて行きましたが、常設も面白かった。昔の紙芝居の映像なんかも見れるんですね。
「紙芝居」展の方は、これまでの展覧会とはまた違った切り口で新味がありました。レコードなんかもいろいろ出ていたんだとか、松島会がけっこうカッコいいユニフォームを作って着ていたとか、ゆるいスタンプとか…。
ここんとこ、街頭紙芝居の立ち位置ってずいぶん変わってきているんだなと実感しました。カタログを買って帰ってきました。



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